国学者としての宍野半事績講究会シンポジウム並び懇親会を開催
9月8日宍野半事績講究会が生誕地の鹿児島で発足となり会長に志学館大学教授原口泉先生が就任されました。またシンポジウムを城山ホテル鹿児島にて開催いたしました。シンポジウムでは研究論文「国学者としての宍野半の事績」を発表した武田幸也先生の基調講演がありました。そして原口泉会長が座長となり田中恆清先生(神社本庁総長、京都皇典講究所京都國學院院長)と松本久史先生(國學院大学神道文化学部副学部長)による鼎談が行われました。
鼎談では皇典講究所の創設に尽力した半の事跡のみならず、岩下方平、田中頼庸、後醍院真柱など薩摩出身の国学者の研究が進むことが望まれると結ばれました。
懇親会では歌手安藤菜夏さん、さつまおどり太鼓の皆さん、津軽三味線木本宗峰社中さん、により祝賀の演奏で華を添へ、さらに扶桑教恒例の大福引大会があり、華やかに開催されました。
前日の7日は管長台下はじめ鹿児島教区の教会長が半の氏神社の新田神社に記念参拝し生誕を祝賀しました。
9日には半が仕へた島津斉彬公を祀る照国神社に参拝し田原権宮司からお話を伺い、続いて尚古集成館で田村館長にお話を伺いました。記念ツアーの参加者は人吉へ向かい球磨川を見学、翌10日は熊本の水前寺公園、出水神社へ参拝しました。出水神社では細川護光さんにお目にかかりお話を伺いました。
8月26日 八合目天拝宮に遷御申し上げておりました御神實はご下山され北口本宮浅間神社を立ち寄り元祠に還御されました。元祠仮本殿で還幸祭を斎行、7月15日から勤修された御山神事が無事修納できたこと、また大勢の登山者が恙無く富士山登山が叶ったことを大神様に感謝申し上げました。
本年は食行身禄さま八合目烏帽子岩でご入定291年にあたります。地元の「かのえさるの会」と教育委員会の主催で、身禄祭が斎行されました。元祠に奉安の身禄さまの御影像は中宿の身禄堂に神輿で渡御され「富士講おがみ」を上げ追善申し上げました。
また夕刻には元祠前に建てられた大松明に管長台下が点火し、全員で富士講の「おがみ」があげられました。吉田の火祭りの当日をもって富士山北口はお山納めとなりました。
8月26日富士吉田市の身禄堂で神事を斎行しました。元祠に奉安の身禄さまの御影像は御輿で身禄堂へ行列で向かいました。身禄堂では富士吉田市の「かのえさるの会」の皆様と「富士講おがみ」を唱え身禄さまに祈りをあげました。
終戦以来78年となる8月15日、天皇皇后両陛下は日本武道館で行われた全国戦没者追悼式にご臨席になられました。管長台下は日本宗教連盟理事として参列し黙とうを捧げられました。
8月12日青山霊園扶桑奥都城において中元霊祭(お盆の霊祭)を斎行し、歴代管長はじめ奥都城に合祀されている教導職、教信徒各家御霊神さまに追善の祈りをあげました。
奥都城では春・秋彼岸と中元(お盆)正月に霊祭を斎行しています。
[奥都城へ合祀ご希望の方は本部までお問い合わせください。]
8月4日延暦寺において比叡山宗教サミット37周年記念「世界平和祈りの集い」が開催され管長台下が参列されました。
7月28日 富士山太祠で「松原のお富士急さん 富士講まつり」を開催しました。素晴らしい晴天のもと、富士塚を前に富士講先達による「おがみ」があげられ、参列者は富士塚に登り、御開祖角行さま御直伝秘符「おふせぎ」と登拝証が授けられました。また本殿前に新たに安置されました狛犬「日展作家三枝惣太郎先生作・阿吽・」が香川教区生六宮と石の店山田さんから奉納され、参列者全員で除幕をいたしました。本殿では、神振行事として「富士塚寄席」が雷門小助六師匠により開席され、会場は大爆笑の渦に包まれていました。
7月11日管長台下と吉野正晃教議員は台湾を訪問し台北三玉宮に参拝しました。さらに日本関係協会、陳忠正副代表を表敬しました。
翌日12日には台南市の台湾オートバイ神社建立予定地で建築の進行状況を視察されました。
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