扶桑教とは
すべての命に、
神は宿るThe divine dwells in all life

神道の教え
日本には八百萬の神々と言い、多くの神が存在しますが、それは決して人格神ではなく、宇宙の色々の作用を表す分掌神として存在します。したがって八百萬の神々は、元始の創造神である天之あまの御中主みなかぬしの神かみに帰一するのです。
神の意を実践するために、人は誕生しています。常に私達の身体の中には神の神霊しんれいが鎮まりますので、いついかなる時でも、たとえ天変地異に遭うことも、貧苦に責められても私達の行為の上には人間として踐むべき正しい行動をとらなくてはなりません。
私達はこの現世を立派に暮らして神の心に従い、与えられた生命いのちの期限まで精一杯生きることが一番大切なことです。
それは、生きとし生けるものすべて、動物・植物にへだてなく、各々の働きに感謝し、互いを認め合い、尊敬し合い、助け合って生きることが神の心に添うことです。
食生活においても、魚も肉も食べます。人間は、他の動物・植物の生命いのちを頂いて生きなければ生きられません。よって、食べるために採取され殺される生命に深く感謝し、己が生命としてありがたく頂きます。生きるために動物(鳥やけもの)を殺すことは罪ではありませんが、必要以上に殺したり食べ散らかすことは最大の罪です。
一歩ごとに、
自らを清める。With every step, I purify myself.


富士山信仰について
日本一の山と称される富士山に対する畏敬の念と崇拝の念は誠に古くからありました。神々しいまでの秀麗な姿は神霊の宿る霊峰であり、一方幾度かの噴火を繰り返した荒々しい姿から、火の神の猛威が与える畏怖の山でありました。そして、人々の恐れの気持ちは、やがて山に祈ることで平安を招き、人間の力では到底抗しきれない大自然の驚異を神として祀る信仰が生れました。
このような富士山の歴史は、日本武尊が東征の折に現在の北口を開かれたとされる日本書紀、古事記の時代から、聖徳太子、役行者による登山・開山などの神話伝承が伝えられておりますが、現在に富士信仰の伝統を存続させているのは、藤原(長谷川)角行(1541~1646)が永禄元年(1558)より不撓不屈の修行のもとに北口登山道を開かれ、元亀3年(1572)6月3日、霊峰頂上に立って興された富士道であります。
やがて、藤原角行を開祖に、富士山そのものを霊場とする富士道は確立され、富士山の厳しい自然の中を登山修行し、天地平安・萬人安福を祈る富士講が組織されました。
富士講は、江戸時代中期に「江戸八百八町に、八百八講あり、講中八萬人」といわれるほど隆盛し、伊勢詣り、金毘羅詣りとともに、「三大詣り」として江戸の町民に深く根付きました。また、富士山に登ることができない女性やお年寄りのために、江戸の諸所に富士山をかたどった「富士塚」が作られるなど、当時の富士講の習俗は江戸町民の生活風俗に大きな影響をもたらしました。
このことは、羽黒山や大峰山などの各地の山岳信仰が修験者による修行の場であったのに比べ、富士講は一般民衆が伝統的信仰形態を取りながら山頂を目指したという特異な現象であります。
民衆の登拝を支えたものは、厚い信仰心と豊富な経験に裏付けられた富士講先達(せんだつ)の存在であり、又ふもとでは御神前で大神楽を奏すなど信仰の指導者であり、宿泊所の運営や強力(ごうりき・荷物の運搬)の手配など、いわばベースキャンプとして山を目指す講の人々をサポートした御師(おし)の存在でありました。
また、先達が伝えた「山で一番怖いのは雷」「弁当忘れても雨具は忘れるな」「息は吸うよりまず吐き出せ」などの言葉は、知識としてではなく、経験に裏付けられた知恵として、十分現在に通じるものであります。
現在も登山者の多くは金剛杖を頼りに、苦しい登山の中で、心から自然に湧き出る言葉として「六根清浄」の掛け声とともに一歩ずつ山頂を目指しております。このような姿は諸外国にも例がありません。
文化庁や自治体においても、富士道・富士講の古文書などの記録や、祭具・建築物等を歴史的遺産として長く後世に伝えるべく、文化財の指定など必要な措置を講じております。
中でも、富士講の歴史上とりわけ意味ある史跡として、八合目烏帽子岩富士山小頂上天拝宮(元祖室)は存在します。日本武尊が登拝の折に烏帽子を置き休息したと伝えられる聖跡であり、富士道(明治15年、勅裁の神道教派として特立し、神道扶桑教に改称)の中興元祖伊藤食行身禄(ジキギョウミロク・1671=寛文11~享保18=1733)が、享保18年6月13日~7月13日の31日間を、一日一椀の水だけの断食修行により六十三歳で即身入定された霊跡で、その御遺体の石棺の上に小祠を建て、身禄堂・元祖室と称されてきました。そこに、富士山頂上金明水脇にあった富士山天拝所をここに移し合せ、富士山天拝宮とし、元祖食行身禄師入定より二百八十余年の今日まで、富士信仰に欠くことのできない重要な霊地として、守り伝えられています。富士山五合目以上に存在する社殿は、頂上久須志神社、浅間大社奥宮と、富士山天拝宮の三ヶ所のみであります。
しかし、先に申し上げましたように、富士道・富士講の本来の姿は、歴史的な資料としてのみではなく、民衆の中に活きる姿であります。
西欧の登山は、いわばスポーツとしての自然の克服であり、頂上に立つことが目的でありますが、富士講の精神は、厳しい富士の自然と一体化し、あるがままの環境を受け入れて「生かされている自己を再確認する」ことが目的であります。このことは、最近提唱されている「自然との共生」という理念に近いものであると認識しております。
私たちは、富士信仰として培われた長い歴史と、山全体を霊場として一木一草を大切に守り、山の厳しい自然を畏敬の念を持って祈った先人の思いを後世に伝え、四百六十年以上脈々と引き継がれてきた先人・先達の想いを今一度思い起こし、尚一層の精進努力を重ねて参る所存でございます。(「富士山」・「富士講」などの表記は本来「冨」の使用が伝統ですが、本文にては「富」で表記しました。)

他のために祈る、
その道を生きる。Praying for others, living that path.

本教の教義
全ての生命の持続と営みは、大祖産神のみはかりによるものである。よって生きとし生ける者が与えられた生命を幸福に過ごすため互いに共和し共助することが何よりも大切である。この相互扶助の精神を実践されたのが御開祖藤原角行さまはじめ冨士道の先達であり実践のため組織された富士講である。私たちは「地底より天空へ息吹なす冨士山こそ、天地結霊の御柱・萬本の根源である」という冨士道の教えに基づき、山そのものを崇拝するのでない、形儀・無有を超えての冨士山を根本道場として「他のために祈る」まことのこころを以て惟神の大道を宣揚する。冨士登拝修行ではたとえ嵐の中にあっても「六根清淨、御山は晴天」と唱えながら神の大息に自身を投じる。主唱する御神語「こうくうたいそく みょうおうそくたい じゅっぽう こうくうしん」で、神人合一の境地に身を置き、また御神名「たかまのかむろ かむろぎかむろみ くしきみたまを さきはへたまへ」を唱えて、安心立命への信仰心を高め、神の大恩を忘れることなく、「天地平安・萬人安福」「他が為に祈るこの道」を真願に日々実践してゆくことが大切である。また、人はその生を終えると、魂は大神のもとに還り「みそばつかえの御霊」として修行を続けるとして顕幽一如を説き、神の「みおきて」のまにまに生かされていることを心得ることによって大神とのムスビを認識することができる。
祭式と祈り
毎月次祭をはじめとする祭儀には、教祖が著した本教の教典である「神徳経」を全員で奉唱し ている。純神道の面の他、本教は神事として行衣(山装束)を着て冨士山の形に組み上げた斎木を焚き、その浄火による祈祷を行なう法をも併せ持ち、開祖以来の冨士道統と教祖以降の教統を現在に継承しているが、双方とも根本に「無私」の心を以て人心を救済する、揺るぎない祈りが込められている。
祭事
扶桑教では神徳の顕現と宣教のために毎年三回の大祭のほかに、冨士道伝承の御山神事(冨士登拝)などを行っています。
○大祭 報元大祭 三月春分の日 九月秋分の日
開山御神火大祭 六月三日
○御山神事 冨士登拝 七月中旬~八月中旬
天地平安を願い、
四百五十年。Praying for peace across heaven and earth,
for four hundred and fifty years.

扶桑教の歴史
沿革
神道扶桑教の起源は、元亀三年(1572)冨士道開祖角行東覚師が、戦国乱世の荒廃した世を救うため、「天地平安・萬人安福」を真願として冨士道を開かれたことに遡ります。角行師が御神威を篭めて謹製奉願した御神鏡は代々受け継がれ、御神實として扶桑教太祠に奉斎しています。江戸時代には、全国各地に多くの「冨士講」が組織され、冨士山への登拝修行が行われていました。明治時代に入り、教祖初代管長 宍野 半が多数に分立していた冨士講を、「冨士一山教会」として統合し、「冨士山・日本」を意味する「扶桑」を教団名として、明治十五年に明治天皇の勅許を賜わり、「神道扶桑教」は教派神道の一派として特立しました。その後、昭和二十七年包括宗教法人の認証を受け、全国に教会・布教所・神事所・講社を設けて活発な活動を行っています。
創始者
冨士道開祖 藤原角行東覚(1541~1646)
中興元祖 伊藤食行身禄(1671~1733)
教祖初代管長 宍野 半(1844~1884)
歴代管長
追贈二世管長(事務取扱) 田中頼庸
三世管長 宍野健丸
追贈四世管長(事務取扱) 藤枝雅之
追贈五世管長(事務取扱) 岡次郎太郎
追贈六世管長(事務取扱) 壬生基義
七世管長 宍野健弌
追贈八世管長 宍野健之
九世管長 杉山一太郎
十世管長 宍野史生(現管長)
※勅裁特立百四十五年記念事業として、事務取扱管長に管長を追贈する。

